リセット - 19
前へ目次次へ

 家系図をしまう間もなく、シグリィはそれを感知した。大量の人間が近づいてくる足音。
(来る!)
 とっさに家系図をしまい、
「セレン、廊下へ出るぞ!」
 と言いつけて自分は先に駆けていき、書庫のドアを開けた。
「おお、まさにまさに」
 嬉しそうな男の声。重厚な、威厳を感じさせる声だ。
 シグリィはゆっくりとその男に顔を向ける。歳は五十歳ほどだろうか、間違いない、自分が探知しようとしていたその男本人だ。
 ダーグ・シャンネス。
「お前の言うとおりだイドル。侵入者が子供だとは」
「恐ろしい棘を持った子供ですが」
 ダーグの隣に、あの男が立っていた。
 イドル・シュナーディカ。この屋敷に入るのを躊躇していたはずの彼が、なぜここにいるのかは知らないが、とにかくイドルの心の中で何かが起きたらしい。
 そして、ダーグとその隣にいるイドルの背後に、二十名ほどの私兵。幸か不幸か、この廊下は二十人いてもほどほどに隙間がとれる程度には広かった。
 シグリィは息をついた。
「……何の御用ですか」
 ダーグは右頬を吊り上げた。
「用があるのは貴様だろう、坊や」
「用ですか。まあ、ないこともないんですが」
 ちらりとイドルを見る。だが今のイドルは泰然としていた。
「さあ坊や」
 ダーグは優しくも聞こえる、余裕の声で語りかけてきた。
「私の後ろにいるのは全員朱雀だ。死にたくなかったら、大人しく目的と貴様の背後にいる者の名を言いなさい」
「断る」
 少年が即答すると、ダーグの顔が一瞬にして赤くなった。
「繰り返す。死にたいのか?」
「死ぬつもりはない。だが条件を飲むつもりもない」
「小僧……っ」
 その場にかつてない緊張が走った。
 シグリィは下手に構えたりはしなかった。本当の戦士というものは構えないものだ。自然の形から、自由自在に動く――
「シグリィ様っ」
 遅れてセレンが書庫から出てきた。そして、自分の若き主が対峙している相手を見て「うきゃっ」と奇妙な悲鳴を上げた。
「わわわ。何ですかこの集団?」
「……お前の緊張感のなさもここにきわまれりだな。空気ぶち怖しだぞ……」
 がっくりとしたシグリィだったが、同時に安心感も胸に降りてきた。セレンは信頼する頼もしい連れだ。力の使いすぎで弱っている自分を補って余りある。
「セレン」
 だから彼は、彼女の杖を取り上げた。
「この方々は私を死なせたいらしい。とりあえず、そこの一番偉そうな人物とイドル氏を残して片してくれ」
「へっ」
 杖を取られて両手をあわあわとさせていたセレンが、主人の言葉にますます口をあんぐり開ける。
「……意味が分からなかったか?」
 シグリィは小首をかしげた。
「分かりますけどー。えー。杖なしで? やるんですかー?」
「相手は全員朱雀だ。そうなると、さすがのお前でも杖なしぐらいは必要だろう」
「詠唱なしの方がよくありません?」
「それをやると暴走させやすいだろうが……」
 セレンはえっへんと胸を張って、
「杖なしでも暴走させます!」
「……カミルがいたら拳で殴られるぞ」
「いないから言うんですっ!」
「清々しいほどに堂々としているな……」
「いついかなるときにも自分に正直に、がモットーです」
「いや今ここでそれは当てはまらないからな」
「で、なんでこの人たちぶっ飛ばすんですかー?」
「……人の話聞いてなかったのか……」
 ますます脱力したシグリィだったが、気を取り直し、「この方々は私を殺したいらしい」
 とたんにセレンの顔つきが変わった。恐ろしい形相でダーグたち一行をにらみつけ、
「私のシグリィ様に! 何をしようって言うの!」
 ダーグはこのへんてこりんな女の登場に唖然としていた。イドルがそんな主人に向かって説明した。
「あの……この子供とともに行動していた朱雀だと思われます」
「あ? ああ、そうかそうか」
 ダーグは慌ててこほんと咳払いをし、
「しかし朱雀ひとり対二十人。単純に考えて勝てるはずは――」
「この一番腹の立つ偉そうな人も怪我させていいですか」
「だめだ。やるな」
「えー」
 ぶーぶー文句を垂れる女と少年はダーグの言葉を完全無視だ。
 ダーグは茹でたタコのごとく顔を真っ赤にした。
「貴様ら……っ。本気でわたしを馬鹿にするか!」
 ようやくシグリィは振り向いて、
「馬鹿にしているんじゃありません。眼中にないんです」
「この……!」
「セレン、やれ」
「はーい」
 セレンはすいっと片手をかかげた。次の瞬間、彼女の口から詠唱が放たれる。
「重き風に抗える者なし!」
 普段は杖で制御されている魔力が、ひとつのリミッターをはずされて、気づけばダーグの背後の私兵たちが数人倒れていた。
 一瞬遅れて――というより、背後で私兵たちが倒れた音に気づいてはっと振り向いたダーグは、そのさまに瞠目した。
 イドルが鋭くセレンをにらみつける。残った術士たちが力を放つ。瞬時にシグリィが結界を張った。すべてが無効化されて、意味のない力へと消える。術士たちが何度同じことを行っても同じだ。少年と女へは届かない。
 あれは何だ、と朱雀の術士たちがざわめく。
「結界です! 玄武の術――」
 イドルが説明している間にも。ダーグは真っ赤な顔で、
「いいから攻撃を続けんか!」
 と怒鳴っていた。
「ダーグ様、結界を張るのはかなりの力が要ります。あの子供が力尽きるまで続ければ」
 イドルの言葉に、術士たちが士気を上げる。次から次へとシグリィたちの上に氷塊が落ち、ふたりの間では爆発が起き、突風が吹きぬけ、火の渦が通り抜けていく。
 すべては一瞬にして消え去るだけだったが。
 セレンは、んーと指先であごをつっついて、
「シグリィ様ぁ。壁壊しても大丈夫ですかー?」
「まあいいだろう。どうせ金持ちだ」
「そうですね!」
 変な理屈で納得したセレンは、今度は両手をかかげた。てへ、と首をかしげるようなポーズで笑った後、
「ちょっと大きいのいくから覚悟しろー」
 そんな言葉の後に紡ぎだされた詠唱――
「我の邪魔をするもの、微塵にしてくうなり! 破爆!」
 それは人が変わったかのように高らかで鋭利な声だった。
 直後に、爆発が起こった。
 それは後ろからダーグやイドルを吹き飛ばすほどの勢い。
 一瞬にして二十人の術士たちが爆発に巻き込まれ、壁に床に叩きつけられた。
 美しく磨かれていた壁の一部が破壊され、タペストリが焼け、がらがらと石が落ちていく。
「あれー」
 セレンが両手を見下ろして、不満そうな声を出した。
「思ったより力出なかった……」
「知らない内に体の方がリミッターをかけたな。外からの制御なしはしばらくぶりだからだろう」
 ぽんぽんとシグリィは労わるようにセレンの肩を叩く。
 うーん、とセレンは悩んでいる。
 魔道士である彼女のリミッター=Bそのひとつが杖であり、またもうひとつが詠唱だ。
 つまり二重制御。それほどしなければ、彼女の力は強大すぎた。他にも、リミッターには暴走を防ぐという意味合いもある。
 リミッターをすべてはずした彼女の力は恐ろしく――そう、城を破壊できるほど恐ろしく、見事な力であり、同時に危険だ。
「とりあえず私兵は全部倒したようだから……」
 シグリィはセレンに杖を返した。受け取ったセレンは杖を抱きしめ、
「あー、ほっとするっ」
 と言った。
 その言葉に苦笑して、それから改めて目の前を見る。
 ダーグとイドルがいる。爆風に押されて、じゅうたんの上に突っ伏している。術士たちはみな重軽傷。
「早く兵の治療を取り計らったらどうですか」
 回復が早かったのはイドルの方で、彼はじゅうたんに指をくいこませながら起き上がった。彼は今にも歯が折れそうなほど、強く歯噛みしていた。

前へ目次次へ