Without Wings
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〜15〜


 窓から差し込む日差しが眩しい。
「――う〜ん、私って幸せよねえ?」
 未来は胸の前で両手を握り合わせて、ほくほくと幸福そうな笑顔を浮かべていた。
 彼女がいるのは、病院の白いベッド。真昼の太陽の光を受けると不必要にまぶしいその白さの上に、今はお菓子やらなんやら食べ物ばかりが積まれていた。
 その山を見つめて、未来はほうとため息をつき、もう一度呟く。
「――し・あ・わ・せ……v」
「……僕は不幸せなんだけどな……」
「入院ってあんまりするものじゃないけどー。ほら礼儀正しい子なんかちゃんと結びきりの水引よ。これで蝶結びののし紙貼ってきたら純にぶっ飛ばしてもらうところだけど、とりあえずそんな礼儀知らずがいなくて幸せだわ〜〜〜〜」
「君がそんなに礼儀に厳しいとは知らなかったな……」
「ああおかげで思う存分気持ちよく食べられるのね! 入院もたまには悪くないわ!」
「というか……」
 ここに来て、ベッドの傍らに座っていた葛西は冷たく半眼になった。「君が、そんなに大食漢だとは知らなかったぞ」
「あら、女の子は別腹があるってゆーじゃない」
「ほほう。僕はてっきり、学園の生徒からの大量の見舞いの品を、わざわざ僕に運ばせて無意味に僕を痛めつけてるのかと思っていた」
「やーねーセンセ被害妄想よう」
「じゃあなぜわざわざ“見舞いの品はすべて葛西教師へ”なんていう連絡を学園に出したんだ……?」
「だからね」
 急に未来は、葛西のほうへと身を乗り出してくる。かわいらしく小首をかしげながら、瞳を妙にキラキラさせつつ――
「……先生に、来てもらう口実がほしかったの……v」
「……丁度いい遊び相手だからかい?」
 葛西はため息をついて、ぼそりと呟いた。
 いつもなら未来のからかいに不毛なからかいで返す葛西も、今日は疲れているのだ。
 なにしろ未来は、風華学園中等部の二大トップアイドルなどと呼ばれている(アイドルという言葉に多少の語弊がないような気がしないでもないが)。その家柄もあいまって、見舞いの品の量もだてではなかった。
 その大量の品を――今日が日曜日であることが災いして、本当に運んでくるはめになった彼である。
 とりあえずそこで、青年教師をからかうのをやめたらしい、未来はようやく彼女らしくカラカラと笑った。
 ひとしきり笑ってから、ふうと満足そうに息をつき、
「でも本当に、ありがとうセンセ」
 と頭を下げる。
 その素直な態度に、葛西もようやく安心して微笑んだ。
「――今週中には退院だって?」
「そうみたい。思ったより長いのよね」
「まあ、大事をとってだろう。久しぶりにあんなに力を使って疲労もあるだろうしな――」
 ――ここは中等部生徒会のメンバー結城生花の縁の病院で、《闇》について理解ある唯一の医療機関でもあった。
 未来はベッドの上で、大きく伸びをする。
「――ああ、体が鈍る!」
 その左手の指に、赤い宝石の指輪があった。
 池上慎也の一件から三日経ち――
 つばさ中学の校舎はけっこうな被害だったが、そこは風華の援助もあり、文句は言われていない。公立だけあってあまり金銭的に自由ではない学校だけに、この機会に少し改装する――などといううわさもある。
 マスコミも適当に黙らせてある。というより、風華が関わる事件は、マスコミの方が避けるふしがあった。スキャンダルだけを求める三流ゴシップ紙が一番厄介なのだ。
 それはそれとして、まあ……
 つまりは、平和が戻っていたのである。
「純、来るの遅いわよー」
 不平をこぼしながら、未来はぱたぱたとタオルケットを叩く。「遅いー遅いーその間に先生に襲われたらどうしてくれるのよー」
「……そういうことを言う女の子にその気になる男がこの世にいるのかどうかが甚だ疑問だなあ」
「甘いわ! 魅力的な女の子は何しても何言っても魅力的なのよ! だから私なんてこんなにお見舞いを――」
「……病院で騒ぐ女なんか、どっからどう見ても魅力的じゃねえよ」
 熱弁する未来をさえぎって、低く割り込んできた声――
「あ。純」
 未来はほけっとその名を呼んだ。純は呆れたような顔のまま、静かに病室の戸を閉めてベッドに歩み寄ってきた。
 手に鞄を持っている。
「なーに、お見舞いにしちゃまるで学校行くみたいなカバンねー」
「そんなにハズレてもいねえぞ」
 純は淡々とした動作で、どさっとその鞄をベッドの上に置いた。
 その音。明らかに、中に本の類が入っている。
 未来がさっと青ざめた。
「ま、まさか……」
「……退屈してるんだろ?」
 にっこり。
 純が、めったに使わない営業スマイルを浮かべる。
「そんな時にうってつけのこれを、お前が家にたまたま・・・・忘れてったっていうから、ちゃんと持ってきてやったぞ。国語の課題の小説。言っとくが感想文の提出日は来週の水――」
「いやあっ! 遠伸未来はただいま全身全霊燃え尽きて苦しみながら入院中ですっっっ!!!」
 叫んで、未来はばふっとタオルケットの中に身を隠した。
「ふふふふ……」
 純はなぜか、嗜虐的しぎゃくてきな笑みを浮かべた。
「てめーの国語嫌い自体は別に構わねーけどな……こともあろうにその課題を全部私にやらせよーっていうその根性だけは、天地がひっくり返っても許せそうにねーんだよ……ふ、ふ、ふ、」
「親友ならそれくらいやってよう〜〜」
「だから誰がいつどんな理由があってお前の親友になったってんだどうせやることねえんならたまにはやってみせろ」
「現代文きらいなのよ〜〜〜〜!」
 未来は本気で泣きそうである。
 定期テストでは学年総合順位で必ず一ケタをとっている生徒会長だったが、トップ5に名を連ねたことがないのは、ひとえに国語の成績が悪すぎるからなのだった。
 純がいじめる〜〜〜と、タオルケットの中でいじけた声を出す未来。
 しばらくそれを眺めていた純は、やがてため息をつき――それから、鞄の中から本を取り出した。
 小説ではない。
「ほらよ。遠伸」
 ぼん、とその本でタオルケットの下の娘を叩く。
「痛いっ。――……?」
 ワンテンポ遅れてから、未来もその本が課題小説にしては重いことに気づいたらしい、おそるおそる顔をのぞかせて――
「……お前、これが欲しかったんだろ」
 純は、手にした大きく薄い美術画集を軽く振ってみせた。
 未来は飛び起きた。
「うわあっ! すっごい!」
 とても“全身全霊燃え尽きた”人間には思えない勢いで、生徒会長はその画集を受け取り夢中でめくり始める。
「お前、けっこう元気だな……」
 腕組みをして、純が呆れた声を出す。
 未来は今度こそ心底幸せそうな顔で、
 “ありがとう”
 と言った。
 平和な時間だった。
「そう言えばな――」
 ゆっくり流れる時間の中。ふと、葛西は口を開いた。「ここに来る途中にあの公園で、池上弟くんを見たよ」
 揃って画集をのぞきこんでいた少女たちが、顔を上げた。
「慎也クン?」
 あの事件以来姿を見せない少年。
「ああ。元気そうだったな。と言うか」
 思い出し、くっくっと一人で笑う。
「……なに?」
「子犬にな」
 脳裏に浮かんだその情景を微笑ましく思って、彼は目を細めた。「なつかれたらしいんだなあ。多分野良犬じゃないか? しつこくまとわりついてくるその子犬をうっとおしそうに振り払うくせに、逃げられなくて――とうとう根負けしたらしい、鞄から弁当の残りとか出して食わせてやってたよ」
 へえ、と未来が嬉しそうに笑みをこぼす。
 だが、純の方は眉をひそめて、
「……子犬? あの公園で?」
「ああ、井波が初めて彼に会ったあの公園」
「その犬ってのは……雑種の野良?」
「遠かったからよく見えなかったんだよ。でもまあ、特に特徴もない茶色で小さな――なんだ井波、知ってるのか?」
「………」
 腕組みをしたまま、虚空に視線をやって何かを思い出すかのように黙考していた純は、
 やがて、苦笑するように肩をすくめた。
「……あんなひねくれ者でも、小動物には勝てないってか」
「純、ひねくれ者なんて、」
「分かってるよ」
 穏やかな顔で、純はうなずく。
 そしておもむろに病室の戸口へ足を向けた。
「もう帰るの?」
「今行けばひょっとしたら池上に会えるかもしれないだろ」
 肩越しにベッドの上の生徒会長を見て、純は言った。
「――あいつとは、まだたくさん……話さなきゃならない気がするんだ」
「………」
「じゃあな」
 それだけ言って、純は病室を出て行く。
 軽い足取りだった。
「―――」
 それを見送る未来の顔が優しい。その横顔を眺めて、葛西は思う。
 ――この娘は今までずっと、こうやって“見守る”立場だった――
「遠伸」
「なーに、センセ」
「前から一度訊いてみたかったんだけどな」
 こちらを向く少女の左手。
 赤い宝石……
 その石の力は、たしかに並大抵のものではない。けれどもあまりに凶暴すぎる力でもあるから――彼女は自身が《闇》と相対することがあまりなかった。
 どんな危険なときも、常におさえて過ごすこと。
 それが、《火》の使命。
 対して《闇》にもっとも有効とされる、《地》の力……
「……君は、《地》者でありたかったと思ったことはないのか?」
 《地》であれば助けられたと、そんな状況を数々見てきたはずの娘。
 ――けれど青年教師の目の前で、未来は笑った。
 これ以上なく穏やかに笑った。
「バカねー先生」
 屈託なく。
 それが当たり前のことだと心底信じているかのように、少女は言ってきた。
「――私じゃあ、あんな高さから飛び降りる勇気を……持たせられるほど、信頼させることなんかできやしないもの」
「―――」
 葛西は思わず絶句し――
 それから……ゆっくりと微笑んで、うなずいた。
「そうか」
 そう、言えることがとても心地よい。

 だから指輪たちも、彼女らを望んだのだろうと。

 だからこの娘たちは――

「ねえねえ先生」
「うん?」
「いざとなっても私戦えないわけだから、そんなことになったら先生私をかばってね? もちろん自分の身を顧みずに」
「………………」
 ――とりあえず、強いには違いない。
 良くも悪くも。
 しみじみと思って、青年教師は深く、ため息をついたのだった……


(Without Wings/終わり)

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