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「――遅かったな?」 昨日と同じように、彼の背中が見えたところで立ち止まってしまっていた少女を、レオンは振り返って心配そうな顔をした。 彼女の兄に殴られた頬が赤い。 「どうした?――仕事で疲れたのか」 少女が自身の胸元をずっとわしづかんでいることに、彼が気づかないわけがなかった。 「……苦しいのか?」 「―――」 無言のままのレナに、彼のほうから歩み寄り、その様子をうかがってから――やがて彼女の口を開かせることを諦めたらしい、 「レナ。見ろ」 彼はただ、うながした。 レナはうつろな瞳で、彼が示す方向を見た。そこにあるのはいつもの花壇で…… けれどそれを見たレナは、はっと我に返った。 「あ……芽、育って……るの?」 昨日はこの距離からでは気づかなかった新芽の色。 それが小さいながらも、今日ははっきりと認識できた。 レナは花壇に駆け寄った。しゃがみこむと、その黄色っぽかった緑がより濃く、そして昨日よりも背が高くなっていることがはっきりと分かった。 傍らに、レオンが立つ気配がする。 思わず勢いづいて、レナはレオンを見上げた。 「――これ、順調よね? 無事に育つ? 花は咲く?」 レオンはいたずらっぽく微笑んで、 「まあ、任せなさい。俺は世界一の植物博士だぞ」 それは相当にふざけた言葉だったから、レナは笑ってしまっていた。 「バカみたい……! そんな偉そうなこと言って!」 「失敬な。どうしてそう俺を信じないんだかな」 「信じられるわけないじゃない、もう、変なことばっかり言って――」 笑い続けようとして、ふと自分を見下ろす水色の瞳に気づいた。 微笑みをたたえた、それはひどく優しい目。 レナは再び思い知った。 自分が彼に癒された――ことを。 「………」 少女の顔から笑みは消え、彼女の視線は花壇に戻る。 取りとめもなく唇から言葉がこぼれる。 「体……痛くない?」 「これぐらいでどうのこうのなるようじゃ、旅人はやっていけないからな」 即答だった。 同時に昼間の、兄と対峙していた彼の姿がよみがえってくる。 知らない人、だったような彼。 再び胸の奥がしめつけられるような気分になって、レナは押し黙った。ただ、目の前の花壇を見つめる。 ところどころに顔を出した芽。 土に植える前に見せてもらった種を思い出す。硬くて黒い、小さな石のようだった。 この村の特産品である薬草は根で増やす植物のため、レナは「種」に縁がなかった。こんな硬いものからいったい何がどうやって出てくるのか、さっぱり分からなかったのだ。 「種」という言葉自体は知っていたし、街から仕入れてきた食用の種も口にしたことがある。 しかし、だからこそそこから「花が生まれる」なんて信じられず、この村に来たばかりのころのレオンを質問攻めにしたことがある。 そんな彼女に、レオンは教えてくれた。 種の中に息づいている生命が、力をためて思い切り硬い皮を突き破り、顔を出すのだと。 不思議な話だった。レナはそれについて、何か色々と言ってレオンを苦笑させたような気がする。何を言ったのかは覚えていないが、きっと彼にとっては間がぬけた言葉ばかりだったことだろう。 種はすべて土に植えてしまったから、その“力をためた生命”が、硬い皮を突き破った瞬間は、残念ながら見られなかったことになる。 レナはふと、自分の右の掌を見る。 いつだったかレオンが種を乗せてくれて、それを握りしめた手。 その感触は、確かに手に残っていた。 その中に、皮を破るだけのパワーがこめられていただなんて、いまだに信じられない気がしている。 ――それでもたしかに、芽は彼女の前に姿を見せた。 そしてまだまだ弱々しい姿ながらも、たしかに育っていて…… 「―――」 レナは手を伸ばし、手近な芽のひとつを、ちょこんと指先でつついた。 こんな小さな芽。 ――花は、咲くのだろうか? 「レナ?」 何かの気配を感じ取ったのか、レオンが名を呼んでくる。 「ねえ。……一気に花を咲かせる方法って、ないのかなあ?」 レナは呟いた。 「だって……やっぱりこの土地じゃ……長く生きていられないかもしれないでしょ。花が咲くまで……もたないかもしれないでしょ……」 つついた指先には、ほんの小さな感触しかない。 本当に花は咲く――? 「もし咲かなかったら、かわいそうだもの」 咲かせてあげたい。そう思った。 だってこんなに小さなままじゃ、 こんなに……幼いままじゃ…… 「レナ」 ――ふいに、青年の声がした。 レナが作り出した重い空気をもろともせず。彼はなぜか軽い調子で、言葉を紡ぎ始めた。 「遠い遠い国で、こんな話があったんだよ。――あるときある男が、育ちの悪い自分の畑の作物を、早く育つようにと引っ張った。そうしたら作物はすべて枯れてしまった」 「………」 レナは肩越しに、小さく青年を見上げた。 レオンはこちらを見ていなかった。代わりに微笑みを刻んだ顔は、彼の花壇の新芽たちを見つめて。 「――俺はな、レナ。正確に言えば花が好きなんじゃない。植物を育てるのだ好きなんだ」 「育てる……?」 「そう、育てる。種を植えて、水をやって、肥料をやって、芽が出て、芽が育って、茎が伸びて葉が出てつぼみができて、そして花が咲いて……それでもまだ終わらない。受粉して、実が成って、種ができて――」 それをすべて、 見届けるのが、好きだから―― 「だから……まあ、わざわざあちこちの国で植物の育て方なんてのを調べたわけだけどな」 「………」 「たしかにひょっとしたら、花が咲いた瞬間が一番美しいのかもしれない。というか、たしかに俺も花が咲いてる瞬間が一番好きだな。でもそれもそこまで育つ過程ありきってやつだ。小さい芽から育つ、その時間をすっとばすのは、強くなるチャンスを失うってことだ。はっきり言ってもったいないぞ?」 早く育つようにと無理やり引っ張ったのでは枯れてしまうのだ。 ――時間は、必要不可欠なものだから。 「お前に、しっかり見ていてほしいんだよ。……こいつらが、成長していく姿を。すべて」 大好きな、彼のトーンが耳に触れる。 レナは両手を伸ばし、新芽のひとつをそっと両の掌で包み込んだ。 軽く目を閉じる。 まだ想像でしかないけれど。 その小さな芽が、時を刻み、少しずつ成長し。 やがて大輪の花を咲かせる――そんな姿を思い描いて。 ――自分の姿を優しく見つめる、いつもの水色の瞳の気配がする。 レナは瞼を上げた。新芽を包み込んだままの自分の両手を眺めながら。 「あなたは……私よりずっと大人、なの。レオン。私よりずっとずっと色んなことを知っていて。私よりずっとずっと色んなことを考えていて」 “大人”が必ずしもそういう存在だとは思っていなかったけれど、少なくとも彼女にとって、彼はそういう人だった。 ほんの時々しかそれを意識せずにいられたのは、きっと彼が自分に合わせていてくれたから。 そう、だって彼は、 「――あなたは、私のことをすぐに見透かすから」 それこそが一番の彼との距離だったのかもしれない。 思い返してみれば自分は、彼のことを何一つ知らないのだ。 考えれば考えるほど、距離は遠いことを思い知って、 だけど…… 「だけど」 少女は立ち上がった。 そして、青年に向き直った。 大好きな水色の瞳を、まっすぐに見返して。 「私、しっかり自分の時間を歩く。飛び越そうなんて思わない。この子たちみたいに成長を重ねて、それから――」 それから。 きっと、華を咲かせてみせるから。 「――待ってて、ね……?」 微笑んだ。 ひょっとしたら、泣きそうな顔になってしまったかもしれない。 でもこれが、精一杯の、今の精一杯の想いだったから―― |
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今は子供。だけどいつか、必ず私の花は咲く。 あなたがわざわざ合わせたりしなくてもいい、ちゃんと隣に立てる人間になれるよう。 あなたの愛する植物と同じように、決して時間を無駄にしない。 ――ぽつりぽつりと新芽が見える花壇の横で―― 彼がそっと、微笑んでくれたのが見えた。 |
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「すっかり忘れてるんだよなあ、あいつ……」 呟いて、彼は苦笑した。 思い出の中の少女の姿が、自分の中でたしかに息づいていることを彼は知っている。 かつて―― 硬い種の皮を突き破り、中からパワーあふれる新芽が顔を出すのだと教えたそのときに。 心底感激したように、自分より六つも歳下の少女は言ったのだ。 『生命がその中に息づいてるんだ……なんだか人間みたい! ねえ? 人間もそうやって芽を出して、育っていくのね』 だから自分は思ったのだ。 この少女に、この少女が生まれ育ったこの土地に、花を咲かせてみせたいと。 「言っただろ、レナ」 彼は独り呟いて、微笑する。 「見透かしてるわけじゃない。花の成長だって、しっかり見てなきゃ分からないんだぞ……?」 願わくば、かの少女の芽吹いた心に、輝かしき陽光の注がれんことを。 そしていつか、 この世で一番美しい花が咲く頃に…… (終わり)
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