月闇の扉 - sideA-3
前頁[sideB-2]目次次頁[sideB-3]
sideA-2sideA-4

 ガナシュの町にたどりついたのは、おおよそ予定通りの時間――昼の一時だった。
 町に近づくにつれ鼻がその気配を察していた。潮の匂い。
 海が近い。
 当たり前だ。この町は船着場のある町なのだから。
「海の匂い久しぶりっ!」
 町の門の前で、セレンがうーんと気持ちよさそうに伸びをした。
「はあ、爽やかっ!」
「船着場はもっと爽やかでしょうね」
 カミルは剣をおさめながら、ようやく表情をやわらげた。
 ほんの数分前まで、《獣型》“迷い子”と戦っていた。その名残を、町の中にまで持ち込みたくはない。
 しかし、爽やかな気分に浸っている場合ではなさそうだった。
 シグリィは少し眉をひそめた。
「……今年は人里も大きく被害を受けたらしい」
 町の門は破壊されている。門だけではなく、家屋にも襲撃の跡があった。
「外をうろついている連中も五年前より数が多かったようだから、ひょっとしたらとは思ったが……」
「小さな町ですからね」
 カミルはごく常識的なことを言った。
 たしかに――大都市よりも、小さな町村の方が、被害を受けやすいのだが。
 人間の血肉を求める“迷い子”だが、人間が群れるとめっぽう弱い。いや、能力的に弱くなるのではない。どうも本能的に、群れた人間は怖いと考えるらしい。
 それが証拠に、普段人里に“迷い子”が襲いかかってくることは滅多にない。
 人間にも、バリアを張る能力があるという。それはたしかな力ではない。けれど効果的なバリア。
 自分と異質のものを疎外するというバリア――
 人間関係でよくあるそれが、人里という大きなものとなって、“迷い子”を排しているというのが、もっとも有力な説だ。シグリィもそれを否定することはない。
 従って人数が少ない人里は、それだけ弱いのだ。
 とは言え。
「ここは西部なんだがな……」
 納得しようと思えばいくらでも納得できる現状に、しかし腑に落ちない何かがある。
 背後にいたセレンが、両手でぽふっとシグリィの両肩を叩いた。
「考えてもしょうがないですよー?」
「とにかく様子を見に入りましょう」
 言葉の後をカミルが引き継いだ。
 その通りだ。シグリィはわずかに苦笑して、うなずいた。

   町の中は、思いのほかダメージが大きいようだった。
 倒壊した建物こそないものの――“迷い子”はその攻撃力を人間を襲うことには使っても、物を破壊することにはほとんど費やさない傾向がある――屋内に隠れた人間を追い詰めるためには必要だったのだろう、壁にぽっかり空いた穴。
 そこからのぞく室内は荒れ果てて、暴風雨よりも凶暴な何かが暴れたことを如実に表している。
 赤い血の染みは、外にも点々としていた。大きいものや小さいもの、乱れたその染みの形。血を踏んだ靴、あるいは裸足の痕。すべてに、混乱して夜陰の中を逃げ惑った人々の影が見える。
 そしてその赤い染みが続く先、唐突に大きな血だまり。
 そこで途絶えてしまっていることが、残酷な事実を知らしめる。“迷い子”は骨も残さない。砕かれた破片のみが、赤い色に混じりこんでいる。
 ――メインストリートに面する住居の傍には、ちらほらと生きた人間の姿があった。
 足を抱えてうずくまっていたり、頭を抱えてうめいていたり、すでに倒れていたり、複数で寄り集まって震えていたり。
 心がぼろぼろに引き裂かれた彼らは、この明るい春の昼下がりに、重い空気だけをまとってそこにいた。
 いや――
 まだ、生命の火種をたたえた存在がある。
 シグリィは彼らに近づいて、声をかけた。
「こんにちは」
 寄り集まった子供たちの集団だった。一番歳かさと見える少年は、シグリィと同い年ほどと思えた。
 声をかけられてびくっと震え、凍りついた顔で振り向いた彼らに、できる限りの柔らかい笑みを見せる。
「私たちは旅人なんだ。大丈夫だから」
「た、旅人だと」
 年長の少年は、周りの子供を護ろうとシグリィの前に立ち、両手をいっぱいに広げた。にらみつけてくる目のぎらぎらした光は、決してすべてが終わった色ではない。
「そう、旅人」
「嘘だ、扉が開いた翌日に平気な顔で歩いてる旅人なんて!」
「腕に覚えがあってね。……大変な目に遭ったな」
 静かにそう言うと、少年は奥歯を噛みしめたようだった。
「この町は“白虎”は少ないのか?」
 大陸西部には多い、白虎の《印》の持ち主――
 この《印》は“迷い子”にとっては天敵とされている。実際、白虎の者が大勢固まっていれば、“迷い子”はその場を避けることが大半だ。だから、大陸西部で人里が襲われるのは珍しい。
 少年はうつむいた。
「……白虎は、たくさんいたけど……」
 かく言う彼の手にも、見慣れた白虎の《印》がある。他の子供たちの傷だらけの手にも。
 それ以上、彼らは何も言わない。
 シグリィは改めて彼らを見た。
 六人いる子供たちの中には、兄弟らしき者もいたが、全員が似ているわけではなかった。
 親は……
 どこにいるのか、とは、訊いてはいけないのだろう。
 巣を攻撃された動物は、子のために全力で自らが反撃する。人間とて同じだ。“迷い子”に立ち向かうことができないのならば、子供を先に逃がしたのかもしれない。
 疑問は山ほどあった。
 だが、まだ襲撃の余韻が消えていない内に、子供に聞くことでもないか――そう思い、シグリィは「悪かった」と早々に話を切り上げようとした。
「この町は今、誰を中心にしてるか分からないかな。とにかく私たちに手伝えることを聞いてこようと思うんだが」
「て、手伝える、こと……」
 きっ、と視線を上げた少年は、
「しょ、食料を、よこせ!」
 と唐突に、枯れた大声を出した。
「ん?」
「旅人なら食料持ってるだろ! 食べ物、よこせ!」
 見れば小さな子供などはよだれを垂らしている。扉が開いてすぐに襲撃が始まれば、朝も昼も抜いているはずだ。
「食料と言ってもなあ……」
 シグリィは困った。ちょうどこちらも切らしている。
 考えたあげく、袋に詰めてあったブドウの実を見せた。
「これしかない。言っておくがすごくすっぱいぞ」
 子供たちはそれこそ襲いかかるかのように、袋に群がった。
「こら! まずは俺からだ、毒見だ!」
 そう言った年長の少年が、袋を奪い去った。そして中から――毒見というのは本心らしい、一番小さな粒を取り出し、口にした。
 きゅっと唇がすぼまる。さぞかしすっぱいだろう。
 しかし、しばらくして彼の顔に浮かんだのは安堵の顔。
「よーし、これなら食べられるぞみんな!」
 わーい! と子供たちが歓喜した。早く早くと少年に群がる子供たちの目がきらきらと輝いている。
「こら! まずは一粒ずつだ、順番だ!」
 言葉通り一粒ずつ。そして順番に配っていくと、一人三粒は回った。
 しかし、年長の少年は最初の一粒以来、手をつけなかった。
 子供たちは三粒のブドウの実を口に含み、揃って口をすぼめる。
 そして、次の瞬間には顔を花開くようにほどけさせ、
「おいしい」
 と言うのだ。
 胸の奥に何かを訴えかけられている気がして、シグリィは胸元に手を当てる。
 ぎゅっとしぼられているような。
 けれどそれが心地いいような。
 当然か。こんないい微笑みが――目の前で見られる。

 ふと背後で人が騒ぐ声が聞こえて、シグリィは振り向いた。
 そこにはカミルとセレンがいた。カミルは一人の青年の腕をつかんで何かを言っている。さらにはメインストリートの奥から、女性が走ってきた。
 シグリィは興味を引かれて、子供たちに手を振ると、そちらへと向かった。
「どうした?」
「泥棒です」
 カミルの返答は簡潔。
 泥棒……
 目をぱちぱちさせてカミルが腕をつかんで放さない男を見やると、たしかに数匹の魚を抱えていた。
 セレンがメインストリートに視線をやる。
「あの、走ってくるおばさん。あの人のところで盗んできたみたいですよー」
 男は魚を必死で抱き――抱きつぶしそうなほどに抱き、
「仕方ないじゃないか! このままじゃ飢えて死んじまう!」
 彼が抱えている魚はとても新鮮そうには見えなかったが、それでも重要な食料のはずだった。
 シグリィは男を見つめた。
「……気持ちは、分かる。だが、皆同じ苦しみを抱えている中で、力を合わせて復興するんだ。だから泥棒は、よくない」
「こ、子供なんかに、何が……」
「あそこの子供たちはそれを知っていたぞ」
 シグリィは今さっきまで相手にしていた子供たちを指し示した。「それを、大人のあなたが分からないはずはないだろう?」
「―――」
 男は腕をつかまれたまま、がくりと膝を落とした。
 ……腹が減っていたんだ、と小さくつぶやき、うなだれる。
「バカだねえ、ダッハ!」
 憤慨したような女性の声が聞こえて、シグリィは顔を上げる。
 見れば、メインストリートの奥から走ってきた女性だった。
 息を切らしながら、
「別にあたしたちは魚を独り占めしようとなんて思っていないよ。たしかに最近は水揚げ量が少なくて厳しいけどさ。――こんなときに、お前さんみたいなおバカに一食くらいご馳走する気前はあるさ」
 ダッハと呼ばれた男は顔を上げた。
 感激でぼろぼろと泣いていた。腕から力が抜け、ばらばらと魚が落ちそうになるのを、ダッハを手放したカミルが器用にすべて受け止める。
 この町の人間の優しさを感じ取って、ああそうか、とシグリィは納得する。
 だから、“迷い子”は撤退したのだ。人々を食い尽くさぬ内に。
「ほら、ついておいで、ダッハ」
 女性はカミルたちに礼を言うと、ダッハを引き連れて元来た道を帰ろうとした。
 しかし、一度膝をついたダッハは、立ち上がろうとしてもすぐにまた膝をついてしまう。
「ダッハ?」
「す、すまない……夜通し“迷い子”から逃げ回っていたから……足が」
 今になって疲れがどっと出たのだ。シグリィは小首をかしげ、
「カミル、支えてやったらどうだ?」
「そうしたいのはやまやまですが、魚が」
「魚は私が持つぞ」
「私は〜……」
 セレンが唸っている。
 彼女が「私も持つ」と言えないのは、魚の生臭さが服につくのが嫌だからだろう。彼女は旅人のくせに、服装を美しく保つことにはこだわりがある。
「お前は働かなくていい」
 シグリィに言われ、セレンはほっとしたのを満面に顔に出した。分かりやすい女だ。
 そんなやりとりを唖然と見ていた魚屋の女性は、やがてぶっと噴き出して、
「なんか変な人たちだね。……あんたたちも少し食べて行くかい」
「それが可能なら、お言葉に甘えたいです」
 シグリィは微笑みとともに言った。
 そうして許しを得て、シグリィは魚を持ち、カミルはダッハに肩を貸し、セレンだけは自分の杖一本、くるくると回しながら、ぞろぞろと魚屋の女性の後ろをついていった。

 シグリィは思う。人々を救うのは、最終的にはいつだって人々なのかもしれない。


前頁[sideB-2]目次次頁[sideB-3]
sideA-2sideA-4